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監督・選手批判の是非②

世の中にある采配批判というのは、結果論がほとんどです。

しかし、ちゃんとしたものもあります。

その起用にどのような意図があるか、その前にどのような伏線があったのかをしっかりと考え、その上で「なんでだ?」「これはおかしいのではないか?」と思ったもの。そういうちゃんとした思考を経たものはやはりしっかりしたものが多いです。こういうものであれば、「ああ、そういう考えもあるんだな」という気持ちにさせられます。


逆に「ちゃんとしていない批判」として代表的なものは、感情論ですね。

「私はこの監督・選手が嫌いだから、なんでも批判する!」みたいな。

「批判『してやってる』自分は凄い!」という感じが出ている自惚れた批判も良くないですね。大体こういうことを言う人は内部の状態とかそれまでの過程を知ろうとしない人が多い印象です。

特に最近はひどいものが多いですね。相手が言い返さないことをいいことに言いたい放題。誹謗中傷、人としての尊厳も踏みにじるような内容もあり、もはやイジメと一緒ですね。(しかもこういう人に限って、イジメのニュースに対して『人を虐めるとは最低だ』とか言うんですよね。自分も平気な顔してやってるのに。)

おそらくこういうタイプの人は、「監督という職業を持つ人間に啖呵をきっている自分」に酔ってるんでしょうね。

(その時の状況とか伏線とか言われたら何も答えられないんでしょうけど)


少し話が長くなりました。今回は私がもっとも嫌っている「キャッチャーのリードに対しての批判」について書いていきます。


「同じ球種を続けるから打たれるんだ」

「ストレートに合ってないのに、変化球を投げるから打たれるんだ」


まあ多いですよね、こう言う言葉。

テレビとかでもよく聞きます。プロの解説者とかでもよく言っていますよね。

でもこれ、「結果論」でしかないですよね。

「キャッチャーのリード」は言ってしまえば、「正解のない問題」です。正直、采配以上に難しいと個人的には思います。

普通に考えたら、ファンがとやかく言えるようなものではないと思うんです。

ところが、言う人っているんですよね。特に「それまでの伏線とか傾向、状況を考えてない人」に限って言う傾向がありますね。


例えば、初球の速いストレートに全くタイミングが合っていないスイングをした選手がいたとします。

では、次にキャッチャーは何を投げさせるか。


ストレートを投げさせる。これは1つの有用な選択です。全くタイミングが合っていない速球にたった1球で修正して合わせるのはプロとは言えども、かなり難しいはずですから。

変化球を投げさせる。これもまた有用な選択です。同じ球種を続けて投げて打たれるというのはよくある話です。また、初球はあくまでも合っていない「フリ」という可能性もありますから。


これだけでもすでに正解などないというのがわかります。素人がリード批判をすることなどあり得ないということが分かるはずです。


さらにキャッチャーは相手のバッターの仕草や調子、ピッチャーの調子、スコア、ランナーの状況、アウトカウント、守備体制、その後の配球のシナリオ・・・色々な要素を加味して次のボールを決めるわけです。私たちには到底想像のつかない世界です。


それにもかかわらず、いるんですよね、批判する人。

こういう人って普段どれだけ野球を見て、どれだけ知ってるのかなって思うんですけど、実は全く知らないっていう人が多いです。「じゃあ、あなたならどういう配球にするの?」って聞くと言葉に詰まります。そして、

「結果として打たれたじゃん!」「プロは結果が全てなんだから!」みたいな感じのことを言います。もうメチャクチャですね。


あと、よく見るのが、「打たれたのは全てキャッチャーのリードが悪い」っていう人ですね。


これ、ピッチャーがキャッチャーの構えたコースに100パーセントの確率でしっかり投げ込んでいるのにもかかわらず球種を読まれて打たれてるとかなら、100歩譲ってわかります。(批判してる時点で本当はダメなんですが)

でも、逆球が多い投手、コントロールが悪い投手の時なんかはリードのしようがないわけです。ところがそういうパターンだとしても、「キャッチャーのリードが悪いから」の一言で済ませる人が多いです。ひどいものですね。


正解がなく、監督の采配以上に難しいという印象すら与えるキャッチャーのリード。この点について、そのチームの首脳陣が苦言を呈するのはまだしも、ファンの人たちが批判をするのはナンセンスかと思います。



以上