前々回から始めたこのシリーズ。今回が第3回。
前回の記事は以下のとおりです。
kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com
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なお、基本的には数字で判断するので、ファンサービスとか性格とかそういったところはいったん考えずに選びました。
みなさんの中にも印象に残る助っ人外国人は数多くいるかと思いますので、「いやいやこの選手じゃないでしょ!」、「あいつが1番凄かったんだけどな」というご意見、ご感想もいただけると嬉しいです。
順番的には東日本から少しずつと言った形で。今回は、
までの3チームを書いていきます。
(このあたりから、印象的な助っ人が一気に増えますよね。)
個人的最強助っ人
DF トニーニョ選手
(2001年~2006年在籍 J1 62試合8得点 J2 160試合11得点)
『大宮アルディージャほど「短命助っ人が多い」チームは珍しい』というのが個人的な印象だ。
バレー選手やレアンドロ選手、ペドロジュニオール選手のように他クラブで大活躍する選手の日本初のキャリアがアルディージャであることからも分かるとおり、スカウティング能力は素晴らしい。しかし、アルディージャで4年以上活躍した選手というのがほとんど浮かんでこない。
ズラタン選手のようにJ2降格に伴って格上クラブに移籍するパターンならともかく、「J2降格時に残留し、J1復帰に貢献した」ムルジャ選手や「高齢とはいえチームの大黒柱として活躍していた」ノヴァコヴィッチ選手までも国内他クラブへ流出してしまうはなぜなのか。親会社が『あの』NTT東日本なわけで、資金力だってある。大宮というホームタウンを持っているので立地だって素晴らしいものがある。契約しようと思えば、いくらでも延長できそうなものだが...。
守備の要として活躍していたレアンドロ選手やマト選手も2年で退団。ボランチとして高い能力を発揮していたカルリーニョス選手も主力として活躍してJ1昇格に貢献したシーズンの直後に当時J2の徳島ヴォルティスに移籍するなど、明らかに資金力に見合っていない。これほど見ていて歯がゆいチームも珍しいと思う。
そういう意味では、「6年間活躍し続けた」トニーニョ選手は貴重な存在だ。2001年にチームに加入すると、6年間でリーグ戦244試合中222試合に出場し、「守備の要」としてチーム初のJ1昇格、J1残留に大きく貢献。主にセンターバックでコンビを組んだ奥野誠一郎選手とともに「『堅守』大宮」を造り上げた大功労者だ。186センチの長身を活かして空中戦を制圧し、ボランチとしても出場するほどの足下の技術もあった。ちなみにずっとレンタル移籍だったらしい。6年間もレンタルしてくれるブラジルのクラブがあるというのは衝撃だ。
個人的最強助っ人
DF ミリノビッチ選手
(2001年~2004年在籍 J1 103試合8得点)
「多国籍軍団」、「日本版銀河系軍団」と私が勝手に呼んでいるジェフユナイテッド千葉。その歴史には多くの国籍の助っ人外国人がいた。
1993年のJリーグ加盟時に在籍していたのは、「西ドイツの天才ドリブラー リティ」ことリトバルスキー選手。そして、西ドイツ代表歴もある実績十分のゴールゲッター、オッツェ選手、そして古河電工時代から在籍していたチェコ人FWパベル選手といったところ。ちなみにオッツェ選手は1994年に「Jリーグ2代目得点王」に輝く活躍を見せ、パベル選手もまた、Jリーグで初めてレッドカードを喰らった選手として有名だ。(なお、通算47試合17ゴールと成績もしっかり挙げている)
翌年になると、ユーゴスラビア代表歴のあるマスロバル選手が加入し、魔法の左足で数々の得点を演出した。特にセットプレーは素晴らしい精度の高さを誇った。さらに翌年にはニュージーランド代表歴があり、ブンデスリーガでも活躍していたウィントン・ルーファー選手が加入。1年半で通算49試合25得点の大活躍を見せた。
その後もオランダ人のボス選手やスコルテン選手、ボスニア・ヘルツェゴビナ人のムイチン選手、ガーナ人のベンソン選手と多国籍に獲得し続けた。2001年には韓国人FWの崔龍洙選手を獲得。3年間でリーグ戦54得点の大暴れを見せ、チームの上位進出に大きく貢献した。
その後もブラジル人のサンドロ選手やマルキーニョス選手、オーストリア人のハース選手、ブルガリア人のストヤノフ選手、オーストラリア人のボスナー選手、ノルウェー人の204センチFWオーロイ選手、スロベニア人のペチュニク選手とここに書いただけでも凄まじい国籍の数。調べたところ、ここまでに獲得した助っ人たちの国籍数は22。すごい...。
各年代で上質な助っ人をチームに迎え入れており、スカウティング能力の高さは証明済み。ただ、もう少し一貫性のある補強にしてもいいような気もするのだが、「各国の優れた選手を獲得するのがジェフ流」と言われればそれまでか。
そんなジェフの中で個人的最強助っ人を選ぶとすれば、2001年~2004年までの4年間活躍したミリノビッチ選手だ。
1999年は16チーム中13位(15位でJ2降格したレッズと勝ち点は同じ)、2000年は16チーム中14位という降格寸前のチーム、もはや降格しないほうが不思議なほど毎年下位に沈みまくっていたジェフに加入したのが当時スロベニア代表だったミリノビッチ選手だった。188センチの高さを活かした空中戦、屈強なフィジカルを活かした地上戦ともに力を発揮し、「攻撃的なサッカーを掲げる」ジェフを守備から支え続けた。同じ年にジェフに加入してゴールを量産した崔龍洙選手ばかりが注目されがちだが、ミリノビッチ選手がいなかったら、攻撃よりも先に守備が崩壊し、もっと早くJ2に降格していたかもしれない。また、4年間活躍したというところもポイントが高い。(降格制度ができた1999年以降ではクラブ最長の在籍期間)
個人的最強助っ人
MF レアンドロ・ドミンゲス選手
(2010年~2014年途中在籍 J1 75試合27得点 J2 32試合13得点
2011年 J1リーグMVP)
優秀な助っ人が多く在籍してきた柏レイソル。
ブラジル代表歴がありながら、当時JFLにいたレイソルに移籍し、チームを意識面から変革させ、礎を築き上げた『闘将』カレカ選手に始まり、圧倒的なスピードで得点を量産し続けた『褐色の弾丸』エジウソン選手、『唯一のバロンドール受賞経験者Jリーガー』ストイチコフ選手、最終ラインからチームを統率し、チームを引っ張った『Jリーグ史上初の外国人キャプテン』洪明甫選手がチームを支えて上位争い常連に導いた。
その後、迷走する時期(特に2003年~2005年)もありながらも、それを脱するとポポ選手、ジョルジワグネル選手やクリスティアーノ選手と素晴らしい助っ人を獲得し続けている。
また、このチームはJ2降格を3回経験しているが、そのたびに「反則級助っ人」を獲得してはチームを強化する。1度目の降格となった2006年にはディエゴ選手やフランサ選手(厳密にいえば2005年8月加入)を獲得。活躍は周知のとおりで、1年でJ1復帰。
3度目の降格となった2019年にはオルンガ選手(この選手も2018年8月加入)がJ2得点王の活躍で1年でJ1復帰。翌2020年にはJ1得点王に輝く大暴れっぷりを見せ、各チームを地獄へ叩き落としてきた。(もう2度と「J2生態系」を乱さないでいただきたい)
そして2度目の降格となった2010年にこのチームに加入したのが個人的最強助っ人であるレアンドロ・ドミンゲス選手である。
得点力不足に苦しみ、J2降格となったレイソルにやってきたレアンドロ・ドミンゲス選手は4-4-2の右サイドの位置に配置されると、得点は量産するわ、アシストも決めまくるわの大活躍で、まずは1年でのJ1復帰に貢献。さらに翌2011年にはチームを開幕から牽引すると、まさかの『昇格即優勝』という快挙を達成することに。その活躍は高く評価され、J1リーグMVPを受賞することになる。特に第6節の鹿島アントラーズ戦(国立)で決めたミドルシュートは衝撃だった。
その後、トラブルもあって2014年に途中退団することになるが、この選手がクラブ史上最高の『背番号10』であることに異論はないだろう。
今回はここまで。
次はFC東京・東京V・町田の『首都・東京を舞台に戦う3チーム』について書いていく。
以上