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個人的「Jリーグ クラブ別最強助っ人」を選んでみた(part4 FC東京・東京V・町田 編)

2020年末から始めたこのシリーズ。今回が第4回。

前回の記事は以下のとおりです。

 

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

 

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

 

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

   

みなさんの中にも印象に残る助っ人外国人は数多くいるかと思いますので、「いやいやこの選手じゃないでしょ!」、「あいつが1番凄かったんだけどな」というご意見、ご感想もいただけると嬉しいです。

 

順番的には東日本から少しずつと言った形で。今回は、

 

FC東京

東京ヴェルディ

 FC町田ゼルビア

までの「『首都・東京を舞台に戦う』3チーム」を書いていきます。

 

 

FC東京

個人的最強助っ人

FW アマラオ選手

(1992年~2003年在籍

J1  101試合49得点 J2  26試合15得点 旧JFL  165試合101得点  )

 

いまやJ1上位は当たり前、近未来のACL制覇も視野に入れるFC東京。このクラブを支えたのは数多くの優秀な助っ人選手たちだ。

J1昇格に大きく貢献したディフェンスリーダーのサンドロ選手から始まり、2000年のJ1初挑戦のチームにおいて29試合17得点の大活躍で躍進に貢献したツゥット選手、卓越した技術と闘争心でチームの攻撃を掌握した『将軍』ケリー選手、サンドロ選手が抜けた後、5年間にわたってチームのディフェンスを統率し、チームメイト・サポーターから愛され続けた『元ブラジル代表』ジャーン選手と優秀な助っ人選手たちの系統が続いていく

2004年にはルーカス選手が加入。来日当初はなかなか結果が出せずに苦しんだが、真面目な姿勢で日本にフィットすると、2004年のナビスコ杯優勝に貢献。2007年オフにガンバへ移籍してから3年間プレーすると1度ブラジルへ帰国するが、2011年途中にFC東京に復帰。当時J2へ降格していたチームですぐにスタメンの座をつかむと、簡単にフィット。チームに勢いをもたらし、1年でのJ1復帰に貢献。2012年・2013年にはJ1リーグで2年連続の全試合出場を果たし、高い守備意識と得点力でしっかりとチームに貢献し引退発表。正直、「ルーカス選手が最強助っ人でもいいか」と悩んだほどの貢献度だ。

その後しばらくはチームの核となる選手を獲得できずにいたが、2018年に獲得したディエゴ・オリベイラ選手は久々の『ヒット作』と言えるほどの活躍で、今もチームに貢献している。

そんなFC東京の個人的最強助っ人は、『キングオブトーキョー』ことアマラオ選手だ。

1992年に当時旧JFL1部に居た東京ガスサッカー部に加入したアマラオ選手。イトゥアーノやパルメイラスといった名門クラブで活躍していたアマラオ選手が加入した東京ガスサッカー部だったが、当時の環境は劣悪で、

・堅い人工芝の練習場で練習

・用具や洗濯を自らする

社員選手が多く、人数が揃わなくても練習をする

など、とてもプロを目指すチームではなかった。そんなチームの中でも『プロとしてサッカーに臨む姿勢』を示し続けたアマラオ選手の姿勢と活躍でチームは1999年に念願のJリーグ加盟を果たす。

迎えたJ2の舞台、アマラオ選手はJFL時代と変わらぬ決定力で26試合15得点の活躍。チームの1年でのJ1昇格に大きく貢献することになる。2000年にはJ1初挑戦のクラブを支える。13得点を決め、前述したツゥット選手(17得点)と合わせて30得点の活躍でチームの躍進に貢献する。

そのオフにはチームフロントとの考え方の違い(フロントは『もっと地力をつけてから上位へ進出』と言う考えだったが、アマラオ選手は『プロであれば常に優勝を狙うべき』と言う考えだった)から、横浜F・マリノスへの移籍話が出てきていたが、2ndステージ第14節ジェフ市原戦で試合前から試合終了後までサポーターからの「アマラオコール」が鳴りやまない事態に。このこともあってチームに残留。以後、2003年までチームに貢献したアマラオ選手は2003年オフをもって惜しまれつつ退団することに。

退団が決定すると、チームのホームタウンであり、アマラオ選手が居住していた調布市から感謝状を贈られ、市役所でセレモニーが執り行われた

残した数字はもちろんのこと、チームの基礎を築いただけでなく、トップカテゴリーで戦う土台作りにもピッチ内外で大きく貢献。今のFC東京の根本には欠かせないということももちろんだが、市から感謝状が贈られる選手など今後出てくるのだろうか。『地域と密接な関係』を目指すJリーグにとってこれほど見本になる選手はいないと考え、アマラオ選手を個人的最強助っ人に選出した。

 

東京ヴェルディ

個人的最強助っ人

MF ビスマルク選手

(1993年途中~1996年在籍 J1  137試合36得点)

 

かつては2度のJリーグ優勝。Jリーグヴェルディという印象さえあった名門クラブ・東京ヴェルディ。しかし2005年にJ2降格を味わうと、そこから1度のJ1復帰はあったものの、すぐに降格したこともあり、未だ「名門復活」は果たせていない。親会社をめぐるゴタゴタも相まって、混迷を極めるトップチーム。(主にフロント面)

ユースは昔も今も優秀で、毎年のようにハイレベルな人材を送りこんでいる上に、トップチームのやるサッカーもかなり魅力的。それだけに経営がもう少ししっかりできれば、「名門ヴェルディ復活」は案外近いはずなのだが・・。

そんなヴェルディだが、「活躍した助っ人もそうでない助っ人も問わずに別れが早い」という印象が強い。1994年JリーグMVPで、ヴェルディの2連覇に貢献したペレイラ選手は3年在籍したが、これはかなり長い部類。Jリーグ第1号ゴールを決めたマイヤー選手は半年。1998年に16試合12得点と活躍した『風の子』エウレル選手は9か月。1994年に守備的な役割を全うし、『影のMVP』といわれたカピトン選手や2000年に25試合16得点と活躍したキムヒョンソク選手、2005年に33試合22得点と活躍したワシントン選手は1年。2001年にヴェルディの降格危機を救ったエジムンド選手は1年4か月、2007年・2008年にヴェルディの攻撃を牽引したフッキ選手は1年半、ディエゴ選手は2年。J2降格や経営状況の悪さも影響しているのだろうが、昔から短命の助っ人選手が多い。

そんなヴェルディにおいて3年半在籍し、リーグ優勝に貢献2年連続ベストイレブンに選出され、ナビスコ杯では2年連続MVPに輝いたビスマルク選手は別格だ。決定的なチャンスを生み出すパス、正確なシュートでヴェルディの攻撃を牽引し続けた。ゴール後にひざまずいて祈りをささげるパフォーマンスは当時の流行となった。

 

FC町田ゼルビア

個人的最強助っ人

MF リ・ハンジェ選手

(2014年~2020年在籍 J2  80試合2得点 J3  63試合5得点)

 

2018年にはJ2リーグ戦で4位に躍進、近未来のJ1昇格を見据えるFC町田ゼルビア

2019年にはサイバーエージェントが経営に参画し、Abema TVでホームゲーム放映という今までのJ2クラブにはなかった動きを見せたり、名称変更の噂がたったりするなど、ピッチ外でも(良くも悪くもだが)話題を集めるゼルビア。他クラブとは一線を画したスタイルには注目されている。

そんなゼルビアだが、まだまだJリーグ加盟から8年と歴史が浅いことから、助っ人選手の数自体が少ない。日本人選手だけでも規律のとれた組織的なサッカーができている証拠ともいえる。そんな中でゼルビアに大きく貢献した選手をあげると、2016年にディフェンスリーダーとしてチームの7位躍進に貢献したカルフィン・ヨン・ア・ピン選手2018年の4位躍進、2019年には33試合9得点でチーム内得点王に輝いたロメロフランク選手などがいる。また、2020年から加入したセルビア世代別代表マソビッチ選手は2021年もゼルビアでプレーする。2021年こそ、本領発揮を期待したい。

そんなゼルビアの個人的最強助っ人はリ・ハンジェ選手だ。一時は「在日枠」だったこともあり、対象に入れるべきか悩むところだが、一応「外国人選手登録」で入っていた時期のほうが長かったので、今回は選出。

長きにわたりサンフレッチェ広島を支え、コンサドーレ札幌FC岐阜にも在籍していたリ・ハンジェ選手は2014年にゼルビアに加入。加入してすぐにキャプテンに任命されると、豊富な経験でチームを牽引。2015年には33歳と言う年齢を感じさせない豊富なスタミナでJ3リーグ全36試合とJ2・J3入れ替え戦2試合の合計38試合に出場し、見事にゼルビアのJ2復帰に貢献。

2020年限りで惜しまれつつ現役を引退することになったが、ゼルビアをJ2リーグに戻し、J2定着にも貢献した功労者として果たした役割の大きさは、歴代助っ人選手たちの中でも別格だ。

 

今回はここまで。次回は19クラブ目の川崎フロンターレから始める『神奈川6クラブ』(予定)です。

 

 

以上