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個人的「Jリーグ クラブ別最強助っ人」を選んでみた(part5 川崎・横浜FM・横浜FC 編)

少し前から始めたこのシリーズ。今回が第5回。

前回以前の記事は以下のとおりです。

 

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なお、基本的には数字で判断するので、ファンサービスとか性格とかそういったところはいったん考えずに選びました。

みなさんの中にも印象に残る助っ人外国人は数多くいるかと思いますので、「いやいやこの選手じゃないでしょ!」、「あいつが1番凄かったんだけどな」というご意見、ご感想もいただけると嬉しいです。

 

順番的には東日本から少しずつと言った形で。今回は、

川崎フロンターレ

横浜F・マリノス

横浜FC

 

 

までを書いていきます。

 (本当は「神奈川6チーム」で書きたかったが、今回の3チームもまた優秀な助っ人達が多かったので、仕方なく分割。)

 

川崎フロンターレ

個人的最強助っ人

FW ジュニーニョ選手

(2003年~2011年在籍 J1  207試合110ゴール J2  78試合65ゴール

2004年J2得点王、2007年J1得点王)

 

J1リーグ3度の優勝を誇り、名実ともに「ビッグクラブ」の仲間入りを果たした川崎フロンターレ。2005年のJ1再昇格以降、攻撃サッカーを貫き続けたことが、今の栄光につながっているのだろう。その魅力的なサッカーをさらに進化させ、ACLでの活躍も期待したいところ。また、ピッチ外での地域貢献にも積極的な姿は、敵味方関係なく見習うべきところだ。「地域とのつながり」を重要視する「Jリーグ100年構想」において、そのお手本となるクラブである。

そんなフロンターレだが、優秀な助っ人が非常に多いクラブである。1999年の1度目のJ1昇格に大きく貢献したのはツゥット選手ティンガ選手ブラジル人コンビ。ティンガ選手は後にブンデスリーガの名門、ボルシア・ドルトムントに移籍するほどの選手となった。

2004年2度目の昇格、その後のJ1定着に貢献したのは、左サイドを主戦とするアウグスト選手とトップ下でチームの攻撃を牽引したマルクス選手

J1昇格後も優秀な助っ人達の流れは絶えず、左サイドのスペシャリストマルコン選手右サイドを制圧し続けたエウシーニョ選手圧巻のテクニックを持ったマギヌン選手レナチーニョ選手レナト選手前線で圧巻の存在感を見せつけるレアンドロダミアン選手といった攻撃陣に、チョンソンリョン選手エドゥアルドネット選手エドゥアルド選手ジェシ選手ジェジエウ選手といった守備陣と、素晴らしい選手たちの集まりだ。外国人選手だけでもベストイレブンが組めそうなほどである。

そんな中でも群を抜いていたのが、ジュニーニョ選手だ。元々はパスを出す側の選手だったそうだが、フロンターレでは武器であったスピードを活かして、フィニッシャーとして起用される。するとJ2での2年間で65得点をあげ、チームのJ1復帰に貢献する。さらにJ1の舞台に上がってマークが厳しくなるが、それをものともせず、6年連続2ケタ得点を達成。2007年にはJ1得点王にも輝き、まさにフロンターレと言えばジュニーニョという印象すら与えた。チームをJ1優勝に導くまでには至らなかったとはいえ、彼がフロンターレをJ1に定着させ、上位に進出するチームへもっていった功績はあまりにも大きい。

ちなみに、意外にも、Jリーグベストイレブン」には1回しか選ばれたことが無い。(2007年)

また、フロンターレ移籍前にはあのFCバルセロナから獲得の打診があった選手でもある。

 

横浜F・マリノス

個人的最強助っ人

DF ドゥトラ選手

(2001年途中~2006年、2012年途中~2014年途中在籍 J1 213試合9得点)

 

Jリーグ優勝4回を誇る、日本サッカー界屈指の名門横浜F・マリノス。「日産自動車サッカー部」から続く由緒あるこのクラブには多くの助っ人選手がやってきた。

Jリーグ初代得点王「左足の魔術師」ことラモン・ディアス選手から始まり、そのディアス選手とのコンビで圧巻の存在感を放ち、チームの攻撃を司ったビスコンティ選手、チーム初のJリーグ優勝(1995年)に大きく貢献した仕事人ボランチサパタ選手突破力と強烈なシュートで70試合36得点と結果を残したメディナベージョ選手といったアルゼンチン代表歴のある選手がJリーグ加盟後のチームの軸となった。

1998年からはスペイン人監督であるアスカルゴルダ監督の下ではサリナス選手J1リーグ記録の8試合連続得点の達成者)を中心としたスペイン人が軸になるかと思いきや、監督退任もありわずか2年で終了。その後は、「スーパーマルチロール」こと柳想鉄選手安貞桓選手などの韓国人選手やポルトガル人ストライカーのウーゴ・ヴィエイラ選手もいたが、基本的にブラジル人選手が軸となっていく。

その路線を築き上げるきっかけになったのが、個人的最強助っ人にあげたドゥトラ選手である。

ドゥトラ選手マリノスに加入したのは2001年の途中。この年の1stステージで16チーム中15位に沈み、降格危機(年間15位・16位がJ2に降格するシステム)に瀕していたマリノスは緊急補強を行うことになった。その補強策として招かれたのが、FWブリット選手MFナザ選手、そしてこのドゥトラ選手ブラジル人選手3人であった。

 迎えた2ndステージ第1節は残留を争うライバルであったアビスパ福岡戦。この試合でJリーグデビューを果たしたドゥトラ選手は延長後半10分にVゴールを決める活躍でいきなりチームを救う。さらに2ndステージ最終節のヴィッセル神戸戦では先制点となるフリーキックからの得点で、まず手始めにチームを残留に導くことに。

翌年以降もチームに残留すると、豊富な運動量で左サイドを制圧し、2003年・2004年のリーグ優勝に大きく貢献。当時の岡田武史監督からはドゥトラの代わりはいない」と言わしめる活躍を見せた。その後、2006年を以て「チームの若返りを図る」ということもあり、一度はチームを去ることに。

ところが2012年、38歳で再びチームに舞い戻ることになる。『「若返り」で契約をしなかったのになぜ今?』と言う懐疑的なことも言われていたが、当時と変わらぬ、いやむしろ熟練したプレーを見てその声は自然と消えていった。2004年を最後に優勝争いとは無縁になっていたチームを再び優勝争いに押し上げていく。2013年にはリーグ優勝争いに導く(2位)と、天皇杯の優勝に貢献。堕ちかけていたチームに再び栄光をもたらした。

2019年に、15年ぶりのリーグ優勝に導いたマルコスジュニオール選手エリキ選手ティーラトン選手アゴマルティンス選手も当然素晴らしいが、やはりドゥトラ選手にはかなわないと考え、今回は選出せず。やはりドゥトラ選手こそ最強助っ人だ

 

横浜FC

個人的最強助っ人

FW イバ選手

 (2016年途中~2020年途中在籍 J1 1試合0得点  J2 156試合78得点

2017年  J2得点王)

 

2020年には13年ぶりのJ1復帰、そして15位でフィニッシュし、新型ウイルスによる特例に関係なく残留圏内に入ることができた横浜FC。元日本代表を6人擁するチームで、話題性も豊富だが、2021年はさらなる躍進へ向け、着実に補強を行っている。近いうちにJ1の上位争いに加わることもあるかもしれない。

そんな横浜FCだが、2001年のJリーグ加盟からしばらくは弱かった。チーム創成期にやってきた助っ人達の国籍はかなりバラつきがあり、オランダ人DFのマシュー選手アルバニア代表歴のあるDFルディ選手トリニダードトバゴ代表のMFシルビオ選手と言った感じで、なかなかな状態。「ピッチ内、きっとカオスな状態だったんだろうなぁ」と推測したりもした。

しかしながらその中でも優秀な助っ人はいたりするもの。『(鬼)軍曹』という愛称でサポーターから愛されたスコットランドDFトゥイード選手は192センチの長身を活かして空中戦に勝ちまくりスコットランドトップリーグイングランド2部、ドイツ2部でも活躍した経験をもとに当時は貧弱だったDF陣を統率した

そして歴史が変わったのが2006年。この年に加入したブラジル人テクニシャン、アウグスト選手が攻撃を牽引し、34試合6得点10アシストと活躍すると、京都パープルサンガ(当時)から6月に途中加入したブラジル人ストライカー、アレモン選手24試合18得点というすさまじい成績でチームに勝利をもたらし続けた。この2人の活躍もあり、前年度12チーム中11位、ブービーだったチームが奇跡のJ1昇格を果たすことになる。

しかしJ1の壁は高かった。4勝4分け26敗勝ち点16という凄惨な成績でわずか1年で再びJ2降格。迷走したフロントの下、J2でも低迷する時期が長く続くことになる。その間にも韓国人DFペスンジン選手ブラジル人FWカイオ選手など、活躍する選手もいたが、チームを安定して上位へ導くことはできなかった。(2017年まで『2年連続1ケタ順位』すらなかった

そんなチームにやってきたのはノルウェー国籍を持つイバ選手である。2016年3月にやってきたイバ選手は190センチの長身で空中戦に強い上、フィジカルも強靭だが、もっと凄かったのが足下のスキルの高さ。なんとこの選手、フットサル・元ノルウェー代表であった。

フットサル仕込みの足下のスキルの高さと正確なシュート技術でなんと4年連続2ケタ得点。2017年には25得点でJ2得点王に輝く。特に2017年途中に加入したレアンドロ・ドミンゲス選手とのコンビは凶悪なレベルで、この辺りから横浜FC「安定性」が身についてきた印象。2019年には18得点をあげ、チームのJ1昇格に大きく貢献。この年の終盤からスタメンから外れることが多くなったが、2020年は主力として活躍するものだと思っていた。

しかし、守備面での貢献度の低さもあって下平監督の構想から完全に外れてしまう。結果、J1ではわずか1試合の出場のみとなり、8月にJ2の大宮アルディージャへ放出されてしまった。

とはいえ、得点力の高さでクラブに『安定性』を身に付けさせJ1昇格にも大きく貢献。歴代助っ人の中でも群を抜いた貢献度であったので、個人的最強助っ人に選出した。

 

 

今回はここまで。次回はY.S.C.C.横浜湘南ベルマーレSC相模原の3チームを紹介する。

 

 

以上

 

※全く関係ないですが、海外サッカーについても少し書いてみました。よかったらご覧ください。

 

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