野球とサッカーが好きな人間のブログ

野球とサッカーが好きな人間が好き勝手に喋ってます!順位予想とかもやってます!

個人的「Jリーグ クラブ別最強助っ人」を選んでみた(part6 YS横浜・湘南・相模原 編)

少し前から始めたこのシリーズ。今回が第5回。

前回以前の記事は以下のとおりです。

 

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

  

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

  

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

  

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

  kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

 

 

なお、基本的には数字で判断するので、ファンサービスとか性格とかそういったところはいったん考えずに選びました。

みなさんの中にも印象に残る助っ人外国人は数多くいるかと思いますので、「いやいやこの選手じゃないでしょ!」、「あいつが1番凄かったんだけどな」というご意見、ご感想もいただけると嬉しいです。

 

順番的には東日本から少しずつと言った形で。今回は、

 

Y.S.C.C.横浜

湘南ベルマーレ

SC相模原

 

までを書いていきます。

 

㉒Y.S.C.C横浜

個人的最強助っ人

FW オニエ・オゴチュクウ選手

(2020年~在籍 J3  23試合2得点)

 

2014年のJ3リーグ加盟後、7年連続2ケタ順位3回のJ3最下位ということで、なかなか上位へ進出するきっかけをつかめていないY.S.C.C.横浜。実はこのクラブ出身の選手がかなり高確率でステップアップしている。『育成クラブ』としてはかなり優秀である。あとはこのクラブそのものが上位へ進出し、J2へステップアップしていくのがいつになるかが問題だ。

そんなY.S.C.C横浜だが、やはりJ3のみの在籍のため、助っ人選手が少ない。加盟7年で6人のみ。なので、最強助っ人の実績もまだまだ乏しい。今回選出したオニエ・オゴチュクウ選手は、高知中央高校出身ということで、「助っ人感」があまり無いのだが、一応外国人登録のため、今回は選出対象とした。このオニエ選手は高校時代3年次にはプリンスリーグ四国で25得点で得点王に輝いた実績を持つスピードとフィジカルに定評のある選手。将来的に大化けしてステップアップすることを期待されている。

  

湘南ベルマーレ

個人的最強助っ人

MF  アジエル選手

(2006年~2011年在籍 J2 186試合48得点)

 

フジタ工業サッカー部を前身とする伝統あるクラブ、湘南ベルマーレ。アジア王座に輝いた栄光も、クラブ消滅の危機も経験したこのクラブにも多くの助っ人選手がやってきた。

1994年のJリーグ加盟直後、チームを支えたのは、エースストライカーとして活躍したベッチーニョ選手ベッチーニョ選手とコンビを組んで攻撃を牽引したアウミール選手、そして高性能ボランチエジソン選手だ。Jリーグ加盟1年目のベルマーレが2ndステージでいきなり2位に躍進したのは、圧倒的な得点力を誇るベッチーニョ選手&アウミール選手のコンビと高い守備能力を誇るエジソン選手の活躍によるものが大きかった。1997年にはクラウジオ選手がやってきて、188センチの高さを武器にした守備と強烈なキック力を活かした「殺人フリ-キック」で平塚を沸かせた。

メインスポンサーだったフジタが経営再建のためにスポンサーから撤退、さらに2000年のJ2降格した後は苦しんだ。コロンビア代表だったパラシオス選手が守備の要として3年半活躍したが、毎年のように助っ人を「とっかえひっかえ状態」となる。それでも2007年にFC東京からジャーン選手がやってきたあたりからチームが好転する。ジャーン選手は4年間にわたってセンターバックとしてチームの守備を支え続け、2009年に11年振りのJ1復帰に大きく貢献した。その後、4年間にわたって守備的なボランチとして献身的にチームを支えたハングキョン選手、2014年に20得点をあげ、精度の高いポストプレーでもチームのJ1昇格に大きく貢献したウェリントン選手(2021年、7年ぶりにベルマーレ復帰)、2015年から2018年の4年間にわたり豊富な経験をそれに裏打ちされたプレーで守備の匠としてチームを支えたアンドレ・バイア選手といった、複数年活躍する選手が多くなってきた。それだけチームの状況が良くなってきたということだろう。

そんなベルマーレから個人的最強助っ人を選ぶとすれば、アジエル選手だ。167センチという小柄な体躯だが、それを全く感じさせない圧巻のテクニックでチームを牽引し続けた。アジエル選手が加入した2006年当時のベルマーレは、J1復帰など「夢のまた夢」という状態。アジエル選手が42試合12得点と活躍した2006年、チームはJ2で13チーム中11位という弱さ。それでも腐らずに戦い続け、チームの攻撃を牽引し続けると、2007年6位、2008年5位とチームは上昇し続ける。そして2009年、反町康治監督の下、4-3-3システムの右ウイングに配置されると、圧巻のテクニックと、創造性あふれるプレーで、ゴールにアシストに大活躍する。そしてあれだけ低迷していたチームの11年ぶりのJ1復帰を実現させることとなる

しかしJ1で迎えた2010年、アジエル選手は両足の疲労骨折で長期離脱。1試合も出場できずにチームもJ2降格を喫してしまう。2011年は復帰したもののチームも低迷し、J1復帰を果たせず、この年で退団。J1でプレーする姿を見せらなかった。「1度でいいからJ1でプレーするアジエル選手が見たい」というベルマーレサポーターの方は多かったはずだ。

しかし、「湘南の10番」として、まさに「2000年代後半のキング・オブ・ベルマーレ」だった。低迷期から6年間にわたって在籍。チームの長きにわたる低迷にピリオドを打つ活躍を見せ、ベルマーレの歴史を変えた男」アジエル選手。個人的最強助っ人はこの人しかいなかった。

 

SC相模原

個人的最強助っ人

GK  ビクトル選手

(2020年在籍 J3  34試合35失点)

 

元日本代表MF、望月重良氏が全額出資して誕生したクラブがこのSC相模原。2014年のJ3参入から数多くのビッグネームと契約をする(川口能活選手高原直泰選手水野晃樹選手稲本潤一選手藤本淳吾選手 等)など話題性にこと欠かさなかったが、なかなか結果が伴わなかった。しかし2020年、J3で躍進。開幕15試合で5敗を喫していたが、その後の19試合を無敗で乗り切り、大逆転でJ2昇格を達成。迎える2021年は初のJ2で相模原旋風を巻き起こしにかかる。

そんな相模原だが、これまでの7年間はJ3にいたチーム。ところが助っ人外国人選手はそこそこ多い。経歴で衝撃を受けたのは、2014年途中に加入し、合計3年間在籍したトロ選手。なんとこの選手、元ブラジル代表だ。しかも20歳そこそこで名門・CRフラメンゴでレギュラー格として活躍し、ブラジルのセリエA100試合以上出場していた選手だ。相模原でもレギュラー格として活躍はしていたが、チームの昇格に貢献することはできなかった。

相模原で活躍したと言えば、ジョン・ガブリエル選手もいる。193センチの高さで空中戦を制し、シュートテクニックも優れたFWで、2018年には相模原で17得点を奪う活躍を見せた。その後、2019年途中に関東リーグ1部の栃木シティFCに移籍することに。(この年も全くダメだったわけではないのに、何が起きたのか....。)

そのジョン・ガブリエル選手の後釜的な役割で2020年に加入したのが、ホムロ選手。この選手も186センチの長身で、加えてポストプレーも上手い選手。サイドに流れてクロスをあげることもできる、割と万能型。同じく2020年に加入したユーリ選手とのコンビは相手に脅威を与えた。シーズンでは13得点を決め、相模原のJ2昇格に多大な貢献をした。なお、この選手も2021年に在籍するかはわかっていない。早いところ契約更新をして、サポーターを安心させてほしいところだ。

そんな相模原の個人的最強助っ人は、GKのビクトル選手だ。相模原の長年の弱点は守備の弱さで、2014年~2019年までの失点数を見ると、1試合平均失点が一番少なかった2017年でも32試合で41失点(1試合平均1.28失点)だった。この守備を改善するべく、FC岐阜から加入したのがこのビクトル選手。191センチの体躯を活かしたビッグセーブでチームを盛り立てると、この年34試合で35失点(1試合平均1.03失点)という数字でとどめる活躍を見せた。J2昇格の最大貢献者ともいえる。2021年はモンテディオ山形へ移籍することが決定。J3にいた選手を強豪・モンテディオ「J1昇格への切り札」として獲得しに行くという時点で、その活躍はお分かりになるだろう。この選手抜きで相模原の2020年はなかったといっても過言ではない。個人的最強助っ人は、このビクトル選手だ。

 

今回はここまで。

次回は、25クラブ目、ヴァンフォーレ甲府から紹介することにする。

 

 

以上