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アルビレックス新潟 名(迷)助っ人列伝 part2

前回の続きです。前回のリンクは下のとおり

 

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

 

 

アンデルソンリマ選手(DF 2005)
J1昇格2年目を迎えた新潟が補強の目玉として獲得した元ブラジル代表の右サイドバック。ただし、右サイドバックとしての能力よりもブラジルでも随一と言われるプレースキッカーとしての能力の方が期待されていた。そのキックの質は確かで、第4節・大宮戦での同点ゴールや第10節・川崎戦での伝説の逆転ゴールなど、数々の名場面を生んできた。一方守備力はお世辞にも高いとはいえず、シーズン中盤以降は3バック導入もあって、右サイドバックでのプレーはなくなった。結局はエジミウソン選手ファビーニョとの「ブラジル人3トップ」を形成し、FWとしてのプレーが主となり、ブラジル人3人の連携で点を取る形が終盤戦の新潟の戦い方となった。
30試合8ゴール、フリーキックで4ゴールと結果を残して退団。退団後もルシオリシャルデス選手レオシルバ選手に新潟移籍を紹介するなど、プレー以外でも貢献してくれている。
 
シルビーニョ選手(MF 2006〜2007)
 ボランチのレベルアップのため、新潟が白羽の矢を立てたのは、4年間仙台で活躍していたシルビーニョ選手だった。
的確なボール配球、効果的な攻め上がりなどを安定して高いレベルで見せつけ新潟の「中盤力」を引き上げた個人的には2007年第6節のガンバ戦で見せた強烈な左足ミドルは印象的。(雨でボールが滑るところをうまく利用していた)
2006年はエジミウソン選手ファビーニョ選手が怪我などで出場機会減少していた中、30試合出場して、しっかりとチームに貢献しかし2007年は怪我を負い、22試合出場に留まり、この年限りで新潟を去った。
2010年には横浜FCに在籍し、レギュラーとして活躍していたが、外国人選手枠の関係で契約解除されるなど、不遇だった。
 
ルシオリシャルデス選手(MF 2007〜2010)
新潟の歴史を語る上で欠かせない、「神助っ人」④
開幕するギリギリのタイミングで加入が発表されたが、第2節・浦和戦で途中出場すると、後半ロスタイムにフワリとした浮き球を供給し、田中亜土夢選手の同点ゴールをアシストするという、鮮烈なデビューを果たす。
その後も活躍を見せ続けたルシオ選手。加入1年目の2007年から28試合9ゴールと活躍を見せた。翌2008年は開幕から怪我で数試合欠場したが、その間の新潟の得点力不足は壊滅的で、1年で「マルシオ依存症」になっていることがよくわかった。ちなみに、2008年から2010年までの3年間、ルシオ選手欠場時には1度も白星を挙げていない23試合で0勝9分14敗)ということだけでもどれだけ依存していたかがお分かりいただけるだろう。
2008年26節・神戸戦でのオーバーヘッドシュートや2009年28節・鹿島戦でのダイビング右足裏ボレーなど、数々のスーパーゴールを決めてきたマルシオ選手だったが、圧巻は2010年だ。この年、26試合で16ゴールを奪ったが、そのうち7ゴールが直接フリーキックという驚異的な数字をたたき出した。特に14節・仙台戦ではPK・フリーキックコーナーキックプレースキック3つでハットトリックというおそらく今後も出てこないであろう記録を成し遂げた。
新潟での4年間でリーグ戦107試合・38ゴールの記録と数々の伝説を残して、2011年から浦和へ移籍。しかし、浦和では本来の輝きを放てず、上手くいっていないなという印象が残っている。結局2014年限りで浦和を退団。現在は現役を退いているそうだ。
 
 
アレッサンドロ選手(FW 2008)
前年までエースとして活躍していたエジミウソン選手浦和に移籍し、その後釜候補として加入したのが、このアレッサンドロ選手。圧倒的な個の能力を持った前任者とは異なり、ゴールへの嗅覚が鋭く、ワンタッチゴーラーといった感じの印象で、周りとの連携がかなり重要になる選手だった。そのせいか、開幕してから5試合は無得点で、新潟のスタートダッシュの失敗に繋がってしまっていた。それでも6節のガンバ戦で2ゴールを決めると、中盤戦まではコンスタントにゴールを決めて、19節・札幌戦終了時点で18試合10ゴールとエースとしての役割は果たしていた。
ところがそこから12試合に出場して3ゴールと失速。しかも、残留争い中の32節・大宮戦では2ゴールを決めたものの、2点目の直後にユニフォームを脱いで2枚目のイエローカードを喰らって退場。数的不利になった新潟は追いつかれて引き分けに終わってしまい、残留を決められなかったというあまりにも有名なマヌケエピソードがある。結局30試合13ゴールと一定の成績は残していたが、フィジカルの弱さや大宮戦で見せたような注意力の欠如などが決め手となったか、この年限りで退団。ちなみにフリーキックは結構うまく、ナビスコ杯ではゴールも奪っている。また、PKはかなり強い力で思い切り蹴り込むのも特徴。
2014年には京都に在籍するも、結果は残せず、途中退団する結果に。
 
ダヴィ選手(MF 2008)
ルシオ選手アレッサンドロ選手に続く2008シーズン第3の外国人。左サイドハーフを主戦場とした攻撃的な選手だったが、正直活躍しているところを覚えていない。10試合0ゴールの結果で5月には途中退団。当時の新潟にしては珍しい「ハズレ外国人」と言える。しかし、中国リーグでは活躍していたらしく、広州富力(あの「ピクシー」ことストイコビッチ監督も指揮していたチーム)では79試合24ゴールを奪う活躍。2014年にはベストイレブンにも選ばれていて、スカウトの目利きは確かだったらしい。あの年の新潟ポストプレーが出来るFWがいれば活躍できていたのかもしれない。
 
アウグスト選手(MF 2008)
ダヴィ選手の退団に伴い獲得した同ポジションのブラジル人選手。2006年には横浜FCで活躍し、J1昇格に貢献。2007年は大分では10番を背負いそれなりにやっていたが、故障で離脱して退団していた。
日本での経験もあり、横浜FC大分でもなかなか良いプレーをしていた印象があったので期待していたのだが、新潟では故障続きで全くといって良いほど活躍できず。ただでさえ薄い選手層に拍車をかける結果に。4試合出場で終わり、ノーインパクトのまま退団。
 
ペドロジュニオール選手(FW 2009)
前年の深刻な得点力不足を打開するべく、大宮から獲得したスピードスターにしてドリブラードリブラーと言ってもただのドリブラーではなく、シュートのうまさも兼ね備えていた。4-3-3システムの左WGを任され、ゴールを量産。特に16節の柏戦の3点目、自陣でボールを奪い、約50メートルをドリブル相手を次々抜いて左足で豪快に決めたゴールは爽快かつペドロ選手の能力の高さをまざまざと見せつけたゴールだった。
(ちなみに、直前に所属していた大宮での2年間は怪我が多いイメージだったので、獲得時に不安でしかなかったのは私の見る目のなさを示している。)
チームも3位に躍進していて、得点もハイペースで取れていた(21試合10ゴール)ので、後半戦の活躍にも期待していたのだが、8月にまさかのガンバ移籍が発表される。
ところがドリブラーの彼に対してガンバの西野監督(当時)は「3タッチ禁止」「持ち過ぎ禁止」などを課していたらしい。そんな制約をしていたら当然ながらペドロ選手の持ち味が活きるわけがない。ストレスを溜めたペドロ選手は翌2010年第3節の新潟戦西野監督に対して暴言を吐いた上、侮辱行為を働き、チームから干されることに。そして事実上の戦力外となった。新潟に残っていれば活躍できていたのに。(笑)
 
ところが、その後も日本でプレーをする機会が多く、FC東京神戸鹿島と3クラブでプレーした。日本だけで6クラブもプレーした選手は、鹿島などで活躍したマルキーニョス選手、福岡などで活躍したアレックス選手、そしてこの選手くらいなものだろう。日本自体は好きだったのだろう。
 
 
チョヨンチョル選手(FW 2009〜2011、2019)
横浜FCから獲得した当時19歳の韓国人ウインガー。3トップが矢野貴章選手大島秀夫選手ペドロジュニオール選手で固まっていたので、使い道があるのかと思っていたが、この選手もドリブル、パス、シュート、どの能力も非常に高く、19歳にして「第4のFW」の地位を奪取。貴重なジョーカーとして活躍した。翌2010年にはサイドハーフのレギュラーに定着。矢野選手ルシオ選手ミシェウ選手(part3で記載)と前線4人で組んだ「ファンタスティック4」は、新潟の攻撃ユニットの中でも屈指の強さを誇った。12節・山形戦で見せた切り返しからの左足で豪快に突き刺したゴールは個人的にはベストゴール。この年は11ゴールを奪い、改めて能力の高さを見せつけた。
しかし2011年は怪我もあり5ゴールで終わってしまうと、その年のオフに大宮へ移籍する。大宮では主力として活躍はするものの、2桁ゴールを記録することはできなかった。
その後、韓国に復帰し活躍していたヨンチョル選手。2018年には所属するチームがACL出場権を獲得し、ACLでヨンチョル選手の活躍を見られると思っていたが、ここでまさかの「新潟復帰」という決断を下す。J2下位に沈んでいた新潟にわざわざ復帰するという衝撃とともに、新潟への愛にサポーターは感動と感謝があふれたが、2019年は故障続きで活躍することができず、1年で退団。現在は、元新潟・小川佳純監督率いるFCティアモ枚方に所属している。
 
ジウトン選手(DF 2009)
セレッソから移籍してきた19歳の左サイドバック。持ち味はダイナミックなオーバーラップを活かした攻撃力、短所は守備全般という我々が想像する典型的なブラジル人サイドバックという感じの選手。
J1デビュー戦のFC東京では守備ではボロボロに崩されまくるも、攻撃ではチームのシーズン初ゴールとなるヘディングシュートを決めるという形で飾る。17節の川崎戦では途中出場であるにもかかわらず、守備で緩慢プレーをしまくったあげく、後半アディショナルタイムでの同点被弾を演出して、監督や選手からの信頼を失ったなどのこともあったが、「守備はザルだが攻撃力でカバーする」というプレースタイルで25試合2ゴールという一定の結果を残した。
オフに鹿島へ移籍。20歳、守備難のサイドバックを獲得するとは、鹿島もなかなかリスクを冒すものだと思ったが、鹿島でもレギュラーで出場していたので、やはり良いものは持っていたのだと思う。とはいえ、守備が改善されたわけではなく、結局のところ、鹿島も1年で退団することに。帰国後には女性関係でトラブルがあったようで、交際相手から熱湯をかけられ全身の20%を火傷するというネタを提供。2016年には甲府に移籍し、6年ぶりの日本復帰となったが、当時の甲府・佐久間監督から「使えねえわ」と言われたかどうかは定かではないが、加入2ヶ月で戦力外を喰らうという相変わらずのネタ外国人ぶりを見せてくれた。
 
エヴェルトンサントス選手(FW 2009)
当時リーグ3位につけていた新潟がシーズン途中の補強として獲得したのがこの選手。なんとこの選手、あのパリ・サンジェルマンからの使者である。ウソではない。本当だ。
パリ・サンジェルマンから選手が来たぞ!神外人確定!」と当時中学2年生だった私は相当喜んでいた。エヴェルトン選手が3トップ(ペドロ選手・矢野選手・大島選手)との連携で大活躍して新潟が逆転優勝。その結果、浦和ガンバに目をつけられたらどうしようと心配したものだった。そんな心配は杞憂に終わるのだが
 
リーグ戦 11試合に出場するもノーゴール。天皇杯では2ゴールを奪ったものの、それ以外に活躍したシーンはほぼなかった。
ペドロ選手の移籍に伴って、システムを4-3-3から4-4-2に変更したという不運もあったとはいえ、「途中加入する外国人選手に過度な期待はいけない」と勉強させてもらうには十分すぎる授業料だった。
よく考えてみると、ペドロ選手ガンバに移籍することを見越してエヴェルトン選手を取ったのかもしれないと、今更ながらに思う。新潟が途中補強をし始めたら、何か起きると覚悟をしておくことが大切だということを教えてくれた。
 
 
part3に続きます。
 
以上