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アルビレックス新潟 名(迷)助っ人列伝 part1

アルビレックス新潟Jリーグ加盟してから21年。その21年の中には数々の外国人選手が在籍してきた。ここでは活躍した選手を中心に書いていくことにする。

 
セルジオ選手(DF 1999〜2002)
初期の新潟を支えたディフェンスリーダー。長身を活かしたヘディングを武器に守備はもちろん、攻撃でも活躍。2002年には6ゴールを決めている。また2002年には、外国人選手でありながら副キャプテンを務めた。
2003年には福岡へ移籍。その後はブラジルの名門、ヴァスコ・ダ・ガマやドイツのデュイスブルクなどにも在籍した。
ゴールを決めたあとのドヤ顔(?)がなんとなく面白かった。
 
アンドラジーニャ選手(FW 2001)
2001年の途中に加入した点取り屋。
その前年に大分で活躍していたこともあり、救世主としての活躍を期待されたが、見た感じ太り過ぎだったと思う。18試合6ゴールという結果で、川崎戦での豪快なミドルシュートVゴールなどの場面もあったので、期待外れというわけではなかったが、翌年に移籍した大分では39試合18ゴールを奪い、新潟の前に立ち塞がったという印象の方が強い。
 
マルクス選手(FW 2002〜2003)
新潟の歴史を語る上で欠かせない、「神助っ人」①
1997〜1999年には本田技研に在籍し、JFLで得点王に輝くなどの活躍をしていた。2002年に新潟へ加入。そのシーズンは36試合19ゴールを決め、いきなりJ2得点王。さらに2003年には41試合32ゴールと大爆発。2年連続で得点王に輝き、新潟のJ1昇格に大きく貢献した。シュートの上手さはJ2レベルでは群を抜いており、当時川崎にいたジュニーニョ選手とともに「反則外国人」の名をほしいままにしていた。また、プレースキックの精度も高く、フリーキックコーナーキックのキッカーを担当することも多かった。
その後、契約で揉めたことで2004年からは川崎へ移籍。川崎でも昇格に貢献するなどしたが、2006年の途中にはチームとの方針の違いからモチベーション低下を訴え、突如退団。その後移籍した東京Vでもそれなりに活躍したが、契約更新後に突然の横浜FM移籍。しかし、そこでは怪我もあり活躍できず。ある意味「お騒がせ外国人」とも言える。
 
アンデルソン選手(DF 2003〜2004)
192センチの長身を活かした空中戦の強さが武器のセンターバックセルジオ選手の後釜的存在として加入。確か最初は練習生だったと思うが、開幕戦からチームの中心的存在として活躍。2003年のチーム初ゴールを決めたり、2004年のチーム初ゴールの時には右サイドを駆け上がりクロスを上げ、鈴木慎吾選手のゴールをアシストしたりと印象的な活躍を見せた。また、昇格決定の2003年第44節大宮戦ではサポーターに「もっと声出せ!」とばかりに煽り、サポーターもそれに応えて大声援を送るというシーンもあった。
2004年2ndステージの前、攻撃陣強化のためにオゼアス選手を獲得したこともあって、退団。
 
ジェイウソン選手(FW 2003)
5月にC契約で加入した若手FW。正直、プレーの印象はなく、入れるべきか悩んだが、新潟の「謎のC契約外国人選手」の先駆けなので入れることにした。
ちなみに、新潟退団後はサントスアトレチコPRインテルナシオナルといった南米の名門に在籍しており、能力は高かったはずだ。
 
ファビーニョ選手(MF 2003〜2006)
新潟の歴史を語る上で欠かせない、「神助っ人」②
ピッチ内を走りまくり、ゴールを決めるとよく泣いた。反町監督「日本人より日本人」と評したファビーニョ選手は2003年に大分から加入した。攻撃はもちろん、守備でも労を惜しまず走り続けるスタイルは新潟が求めていたスタイルそのもの。もちろん、技術的なものも高く、2004年ホーム初勝利を挙げた2ndステージの広島戦では決勝点となるミドルシュートを決めた。また、2005年には古巣の大分戦でミドル2発を叩き込む場面もあった。新潟の左サイドのレベルを大きく引き上げたことは間違いない。
2004年と2005年は3トップの左ウイングというポジションが多かった。この時のブラジル人3トップはとにかく速すぎたようで、中盤以降の日本人選手が追いつかないスピードで攻め込んだ。
人柄も抜群で、新潟サポーターに愛されていた。
2006年、契約満了に伴い新潟を退団するが、最終戦大宮戦のロスタイムにゴールを決め、サポーターの涙を誘ったシーンは新潟史に残る名シーンだ。
 
エジミウソン選手(FW 2004〜2007)
新潟の歴史を語る上で欠かせない、「神助っ人」③
J1昇格元年となる2004年、チームのエースだったマルクス選手の後釜として加入したのが、このエジミウソン選手当時21歳の彼にマルクス選手の穴を埋められるかという不安があったが、杞憂だった。冷静に考えれば、21歳の若さでパルメイラスのエース格として 活躍していた選手の能力を不安に思う方がおかしかったのだ。
スピードパワーテクニック全てを備えた万能型フォワードで、1年目からリーグ戦29試合15ゴールナビスコ杯5試合4ゴール合計19ゴールの活躍。2年目の2005年にはリーグ戦33試合18ゴールナビスコ杯でも6試合4ゴールを決め、合計22ゴールと決めまくり、新潟のJ1残留に大きく貢献する。
2006年は怪我の影響でリーグ戦10ゴールにとどまるが、翌年の2007年にはリーグ戦29試合19ゴールを決め、チームの6位躍進に大きく貢献した。
圧巻だったのは2005年の磐田戦でのハットトリック。彼の能力の高さが存分に現れた試合だった。
その試合の紹介した記事のリンク↓

 

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

 

2008年に浦和に移籍。浦和でも3年半でリーグ戦47ゴールを奪う活躍ぶりを見せていたが、浦和サポーターの評価は辛辣だっことをよく覚えている。さらに、クラブからの評価も不当に低く、2011年途中のカタール移籍は本人の意思ではなく、「売りに出された」というなんとも不遇な扱いを受けたりもしていたが、新潟史上最強のFWと言っていいだろう。

 

オゼアス選手(FW 2004)

昇格1年目の2004年、1s tステージを16チーム中14位で折り返した新潟。15試合で25失点していた守備陣にも問題があったが、16得点で終わった攻撃陣の方がより問題だった。そこで、攻撃陣の補強に乗り出す。それがこのオゼアス選手だった。元々はアトレチコPRサントスパルメイラスクルゼイロといったブラジルの名門クラブで活躍し、ブラジル代表歴もあるオゼアス選手。2002年の途中には神戸に移籍し、1年半の在籍期間中リーグ戦44試合19ゴールを挙げる活躍を見せていた。2004年2ndステージ前に得点力不足に苦しんでいた新潟に加入。前述したブラジルでの華麗なる経歴もあって、チームの通訳、渡邉基治さんには相当驚かれたそうだ。

新潟では、エジミウソン選手ファビーニョ選手とともにブラジル人3トップを形成。正確なポストプレー味方を活かすプレーでチームの得点力を大きく引き上げる立役者となった(2ndステージの得点数は31得点なので、1stステージと比べてほぼ2倍)。また、新潟中越地震直後磐田戦ではサポーターに届けるゴールを決めたことも印象的だ。

 

今回はここまで。

みなさんの思い出に残る外国人選手は誰でしょうか。

 

 

以上