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アルビレックス新潟 名(迷)助っ人列伝 part3

前回の続きです。過去2回のリンクは下のとおり

 

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

 

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ミシェウ選手(MF・FW 2010〜2012)
当時J2降格直後のジェフから獲得した細身のブラジル人選手。ブラジル人選手らしく、圧倒的なテクニックを誇っていたが、ジェフ時代はケガに泣かされていた印象が強く、獲得を疑問視する見方もあったはず。(実際、私もそうだった。)
しかし、その見方を嘲笑うかのような活躍ぶり。2010年にはルシオ選手チョヨンチョル選手矢野貴章選手「ファンタスティック4」を形成し、新潟攻撃陣の中心として活躍。マルシオ選手もうまかったが、ミシェウ選手の技術力はマルシオ選手以上だったと思う。特に20節・川崎戦でヨンチョル選手へのアシストがあったが、そこで見せた上体だけを動かすフェイントは「分かっていても止められない」圧巻の身のこなしだった。
2011年からはマルシオ選手の移籍に伴い10番を背負う。背番号は変わってもプレーの質は変わらず、ハイレベルな技巧を見せ続けてくれた。特に6節・川崎戦ブルーノ・ロペス選手のゴールをアシストしたが、そのアシストとなったダイレクト浮き球パスは芸術的だった。
2012年は低迷するチームの中でも攻撃を支えるために奮闘を続けた。23節・鹿島戦ではチームのJ1通算100勝目に導く芸術的なループシュートを決めた。この年チームであげた29ゴールのなかでもベストゴール候補と言っていい、素晴らしいシュートだった。
結局3年にわたって新潟の攻撃を中心として支え続けてくれたミシェウ選手。彼のようなテクニシャンをもう1度見てみたい。
 
ブルーノロペス選手(FW 2011〜2013)
ルシオ選手が移籍し、得点源を失った新潟センターフォワードであるブルーノ・ロペス選手を獲得した。タイプとしてはエジミウソン選手からテクニックを引き、パワーを足したようなタイプといったところか。
新加入した2011年の開幕戦の福岡戦では左からのクロスに飛び込み、ダイビングヘッドで来日初ゴールを奪う幸先良いスタートを切る。18節のセレッソではペナルティエリア左サイドからドリブルで入り、角度がほとんどないところからアサイドをぶち抜くゴールを奪ったり、29節・川崎戦では「鬼門等々力」での勝利に導くカットインからの豪快なスーパーシュートを叩き込むなど、リーグ戦13ゴールを奪い、チームのJ1残留に貢献する。
ところが2012年は年間通して苦しんだ。開幕3試合で2ゴールを奪ったが、そこから6試合ノーゴール。1点奪ったあとは12試合ノーゴール。終止符を打ったのは25節・ガンバ戦でのアディショナルタイムでのPKだった。(ただ、このPKが残留には大きな得点だったのだが。)
27節・名古屋戦でスーパーミドルを突き刺し、ついに復活するかと思われたが、そこから6試合ノーゴールと再びスランプに。最終節・札幌戦で2ゴールを挙げ、奇跡のJ1残留に貢献したもののリーグ7ゴールと苦しみ続けた。
翌2013年も苦しみ、9試合ノーゴール。守備でも献身的な姿勢を見せ続けていたものの、川又堅碁選手にレギュラーを奪われたこともあり、シーズン途中に退団することに。
パワーとスピードを兼ね備えたいい選手だったのだが、負担が大きすぎたか。ゴールを奪うことに集中させてあげられれば、もっといい成績が残せたのかもしれない。チーム事情に苦しめられた選手だったと言っていいだろう。
 
アンデルソン選手(FW 2011~2013)
シーズン途中にウルグアイリーグから加入したブラジル人レフティ東日本大震災直後の日本、地震の恐怖に耐えられず退団する選手も続出していた中、日本でのプレーを決断してくれたことに感謝しないといけない。
左足の精度は高く、プレースキックを任されることも多かった。デビュー戦となった20節・清水戦ではコーナーキックから千葉和彦選手のゴールをアシスト。 22節の神戸戦ではゴールも決めるなど幸先良いスタートを切っていた。11試合1ゴールという結果だったが、ヨンチョル選手が移籍した2012年はサイドハーフとして活躍してくれるだろうと期待していた。ところが2012年は岡山へ、さらに2013年には当時JFL町田へレンタル移籍される。結局2年間のレンタル移籍期間が終わると、新潟との契約も満了し退団。出し続けていれば間違いなく戦力になれる選手だったと思うだけにもったいない印象を受けた。
 
キムジンス選手(DF 2012〜2014)
酒井高徳選手のドイツ移籍に伴い、空席となった左サイドバック。その座を担うべく、韓国からやってきた当時20歳のレフティー。加入当時は新潟の運動量を多く求めるサッカー・細かい戦術に相当苦労し、スタメン落ちする試合も多々あった。しかし腐らず努力を重ねると、終盤にはレギュラーに復帰。引き分け以下でJ2降格が決まる33節・仙台戦では貴重な先制ゴールを決め、勝利に大きく貢献。後の「奇跡の残留」の序章を作り上げた。
2013年には完全に左サイドバックのレギュラーに定着。クロスの精度、守備の強度ともにさらに成長し、チームに不可欠な存在になった。特に、28節・鳥栖での川又堅碁選手へのグラウンダーのクロスは最高品質だった。この年、チームは勝点55・7位に躍進したが、攻守に渡って献身的に走り続けるキムジンス選手の存在が大きかったのは間違いない。
2014年も引き続きレギュラーとして活躍。韓国代表にもコンスタントに招集されるようになると、このタイミングでドイツ・ブンデスリーガの強豪、ホッフェンハイムからオファーを受け、22歳の若さにして欧州移籍を実現させた。
酒井高徳選手と同様に、新潟から欧州へ羽ばたいた選手として、新潟サポーターの自慢の1つだ。
30歳になったら、また新潟でプレーしたいと言ってくれていたキムジンス選手。それを現実とするためにも、チームはJ1に復帰したいところだ。
 
アランミネイロ選手(MF 2012)
 攻撃力アップ、セットプレー強化のため、新潟が白羽の矢を立てたのが、このアランミネイロ選手だった。プレースキッカーが欲しい新潟にとってはかなり期待していたはずの選手。しかし、来日したときの姿を見て思わず、「太いだろっ!!」とツッコまざるを得ないフォルム。現に減量のためにキャンプ最初の1週間くらいは走り込みばかり。なんだそりゃ(笑)
開幕の時にはまだ見れる体つきになったが、それでもサッカー選手としては太り過ぎで、とにかく動きが重い。この選手が開幕から動ける状態だったら残留争いに苦しむことはなかっただろう。
夏場からにはある程度細くなり、やっと動ける状態に。とはいえ、新潟が求める運動量などは期待できず、この年の途中から就任した柳下正明監督の下では途中出場が多かった。
しかし終盤戦では攻撃力強化のため、藤田征也選手に代わって右サイドハーフのスタメンを張る。31節・清水戦ではコーナーキックから決勝点を演出。その後も自慢の攻撃力をアピールし続けると、34節・札幌戦で出場停止のミシェウ選手に代わって2トップの一角として出場。すると前半8分、坪内秀介選手の先制ゴールをアシスト。その後もプレースキックでチャンスを演出し続けると、43分にはブルーノロペス選手のゴールをコーナーキックから演出。後半、チームは1点差に迫られた上、さらに攻め込まれる展開を迎えていたが、71分にフェイントをかけ相手DFを剥がすと、豪快なミドルシュートを突き刺し、追加点。さらに80分には自らのシュートのこぼれ球に反応し、相手キーパーを交わしてクロスをあげ、ブルーノロペス選手のゴールをアシスト。結局この試合の4得点すべてに絡む活躍ぶりで、チームの奇跡の残留に貢献した。
結局、この年限りで退団。札幌戦を見ている限りではもう1年見ても良かったと思うが、やはり序盤から中盤のイメージが悪かったか。個人的にはFWの控えとして残しておくのもありかと思っていたのだが。
 
キムクナン選手(DF 2013)
横浜FMから加入した193センチの超大型センターバック。身体能力の高さは折り紙付きで、センターバックのコンビを組んだ大井健太郎選手との連携も悪くなかった。
開幕してから3試合、チームは2ゴールを挙げていたが、この2ゴールはいずれもキムクナン選手のゴール。一時期は「キムクナン選手がチーム得点王になるのではないか」とも言われたとか。
その後もレギュラーとして活躍を続けていたが、8月に舞行龍ジェームズ選手が長崎から復帰すると、レギュラーを奪われてしまう。追い討ちをかけるように10月の天皇杯大分戦で全治8ヶ月の怪我を負い、そのままシーズン終了。2014年から母国・韓国に復帰することとなり、新潟を退団した。韓国復帰後はACLにも出場するなどの経験も積んでおり、しっかりとしたキャリアを歩めているようだ。
 
レオシルバ選手(MF 2013〜2016)
新潟の歴史を語る上で欠かせない、「神助っ人」⑤にして、新潟史上最強助っ人
ブラジル1部・ポルトゲーザでレギュラーとしての地位を築き、ゲームキャプテンも務めていた彼がなぜ新潟を選んでくれたのかと疑問に思ったが、アンデルソン・リマさん(part2を参照)の助言があったからだった。
 
そんなレオシルバ選手だが、1年目から格の違いを見せつける。圧倒的なボール奪取能力でボールを奪い、的確にボールを散らしフィニッシュの局面にも絡む。12節・大分戦ナビスコ杯・名古屋戦では繊細かつ豪快な右足(byジョンカビラ)からミドルシュートを突き刺すといったシーンもあった。柳下正明監督からの信頼も早い段階で掴み、いつしか彼中心のチーム作りになっていった。レオシルバ選手の出来でチームの勝敗が決まるといっても過言ではないほどの存在となり、チームの7位躍進に大きく貢献。 結局はこのシーズン、Jリーグの優秀選手賞に選ばれた。
さらに凄かったのが2014年。自慢のボール奪取能力はさらに凄みを増していた。象徴的なのは7節・鹿島戦新潟守備陣2対5鹿島攻撃陣という絶望的な局面であるにもかかわらず、柴崎岳選手のドリブルがちょっとだけ大きくなったところを狙って、あっさりとボール奪ってしまうシーンだ。
さらに、この年からはフリーキックも任されるようになる。すると、9節・徳島戦、 23節・仙台戦、27節・川崎戦、32節・FC東京の4試合で直接フリーキックを叩き込むという暴れっぷり。特に川崎戦フリーキックは約30メートルほどの距離から右隅の「ここしかない」というコースに叩き込んだもので、この年の新潟ベストゴールと言って良いだろう。また、仙台戦のゴールは強雨が降りつける劣悪なコンディションの中で突き刺した決勝点で、このゴールもベストゴール候補だ。この活躍ぶりが評価され、12位のチームからでは異例となる、Jリーグベストイレブンに輝いた。(しかも最多得票での受賞!)
しかし、2015シーズン1stステージ中、急性胆嚢炎で一時的にチームを離脱する。復帰後も過去2年に比べるとやや低調な出来に終始した。チームもその影響からか15位に低迷。残留争いに終始することになる。2016年はフォーメーションの変更に伴い、それまでのボランチから1列前の位置でプレーすることが多くなった。前年のプレーに比べると、かなり本調子に戻っていた印象だが、肝心のチームは前年以上の低迷ぶり。残留するのがやっとの状態であった。
結局この年のオフ、鹿島へ移籍する。レオシルバ選手ラファエルシルバ選手(後述)がいて、2年連続15位、残留するのがやっとだった新潟。いかにフロントが迷走していたかが分かる。
 
ホージェルガウーショ選手(MF 2013)
個性的な髪型が目立つドリブラータイプの選手。2013年途中、ブルーノロペス選手の退団もあって、新潟に期限付きの形で加入した。
持ち味は独特な髪型・・・ではなく、独特なリズムのドリブル。それまでの新潟にはいないタイプの選手だったことから、攻撃のアクセントをつけたい時には、ガウーショ選手が投入されることが多かった。2013年23節・磐田戦では武器であるドリブルで相手DFを次々と交わして、左足で豪快に決めるといった、「THE・個人技」のゴールを決めてみせた。
さらに2014年の開幕戦・仙台戦では、1-1の状況から途中出場でピッチに入ると、88分に左足で豪快なミドルシュートを決め、これが決勝点。チームに開幕勝利をもたらした。2014年の5月に、所属元のチームから復帰の依頼を受け、新潟を退団。約1年で10試合2ゴールと特筆した成績を残していたわけではないが、その髪型と新潟であげた2ゴールが強烈なインパクトだったからか、印象に残る選手だ。
 
イミョンジェ選手(DF 2014)
キムジンス選手ドイツ移籍に伴い空席になった左サイドバックの座を担うべく、新潟に加入した韓国人レフティー。結構期待されていたのだが、前任者の存在の大きさに加え、シーズン途中からの加入で、チームにフィットすることができぬまま、わずか5試合の出場に終わってしまった。
新潟退団後は韓国の名門・蔚山現代に復帰し、レギュラーとして活躍を続けているそう。新潟でキャリアを崩さなくてよかった。
 
ラファエルシルバ選手(FW 2014〜2016)
川又堅碁選手のシーズン途中移籍の影響もあり、途中加入したブラジル人ストライカスピード、パワー、シュート精度の高さ、どれをとっても一級品で、能力だけならエジミウソン選手をも上回りそうなレベルだった。ただし、その圧倒的ともいえる能力に自らの身体がついて行かず、怪我が多かったのも事実。実際、2014年は途中加入とはいえ7試合、2015年は17試合にとどまり、シーズンの半分稼働するか否かという感じであった。2016年は23試合に出場し11ゴールを決め、能力の高さを証明したが、2度の退場処分を喰らうなど、精神面の未熟さを露呈することもあった。ただ、チームの低迷ぶりにフラストレーションを溜めていたとも言え、一概にラファエル選手だけの問題とも言えないのも間違いない。
2017年から浦和に移籍。浦和ではリーグ戦25試合12ゴールを決める活躍。さらに、ACLでは11試合9ゴールを決める大活躍。チームのACL優勝に大きく貢献した。
現在は中国の武漢に所属。新型ウイルスに怯えているという報道もあるが、果たしてJリーグ復帰なんてことはあるだろうか。
 
ソンジュフン選(DF 2014〜2018)
2014年、韓国の大学から直接新潟に加入した190センチの逸材。高さだけでなく、速さ、強さ、足下の技術を兼ね備えるプレーヤーという前評判で、実際のプレーぶりもそのとおりだったのだが、とにかく集中力の欠如が目立ち、1試合に2、3回はマークを見失ったり、複数回のポカミスを起こすなどといったことが多々あった。
2015年〜2016年までは水戸期限付き移籍していたが、そこでもレギュラーを掴むには至ってなかった。ところが2017年に新潟に復帰すると、J1で27試合に出場する。J2でもレギュラーをつかめていない選手がレギュラーになってしまうほど、このときの新潟選手層が薄かったといえる。
その2017年、最終盤6試合で5勝1分という好成績に貢献し、「J2であれば相当な力を発揮する」と思われたが、結局はJ2でも欠点である集中力の欠如、ポカミスが目立ち、失点を重ねる要因になってしまっていた。結局レギュラーを剥奪され、2018年限りで退団。
持っているポテンシャルは確かだったが、とにかく集中力の欠如、ポカミスが才能の開花を防いでいるといった印象が強い選手だった。
 
 
 
やはりこの時期はキャラの濃い選手がそろっている。アランミネイロ選手ホージェルガウーショ選手のように見た目のインパクトのある選手もいた時代だった。
 
次がラストになります。