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個人的「アルビレックス新潟 印象に残るゲーム」を思う(その1)

前回、書いた記事(?)のとおり、今回は「個人的に」アルビレックス新潟の印象に残る試合について、自由気ままに書いていくことにする。

「自由気まま」なので、時系列も何もない。最近の試合を書いたと思ったら、急に15年くらい前の試合について書いたりもする。とりあえず、適当な気持ちで書いていく。

 

前回記事(参考)

 

kka2b-sportswokataritai.hatenablog.com

 

①2009年 J1第1節 FC東京1-4アルビレックス新潟味の素スタジアム

1つ目はこれだ。個人的には衝撃を喰らった試合だったので、ここに記載する。

 

背景

2008シーズン、34試合で32得点しか奪えず、リーグ最下位の得点力だった新潟は13得点を奪っていたエース・アレッサンドロ選手が退団し、さらなる得点力不足が懸念されていた。

オフにはマリノスから戦力外通告を受けたCFタイプの大島秀夫選手アルディージャからWGタイプのペドロ・ジュニオール選手横浜FCからもWGタイプのチョヨンチョル選手と攻撃的な選手を獲得したが、決して攻撃力の不安が拭えたわけではなかった。

するとこれまで山形での2シーズンと新潟での3シーズンを「4-4-2システム」にこだわって戦ってきた鈴木淳監督「4-3-3システム」に変更することを決断する。

シーズン前の練習試合では連戦連勝。得点も取りまくりと非常に期待できるものだった。しかし、新潟にはそんな期待をも打ち砕くデータがあった。

過去5シーズンのJ1開幕戦で合計1得点14失点という凄惨な数字を残していたのだ。

(2004年 新潟0-1FC東京

 2005年 新潟0-4FC東京

 2006年 新潟0-6川崎F 

 2007年 新潟1-1大分

 2008年 新潟0-2大宮)

また、この日の相手のFC東京は2008シーズンに6位に入る強豪だったことに加え、開幕戦では2戦2敗と相性は良くなかった。

 

試合

試合開始から東京に攻められ続ける新潟。特に新潟の左SB ジウトン手(当時19歳)の守備はとても見ていられるレベルではなく、何度崩されたことか。千代反田充選手永田充選手の「W充」の両CBがそのケアをしながら、守備をこなしてくれたので何とか失点はしていなかったが、いつ崩されるか分からないくらいだった。

しかし、「サッカー」というのは不思議なスポーツだ。それをまざまざと感じさせられることになったのは、44分のこと。

新潟は左からのコーナーキックを得る。松下年宏選手の精度抜群のボールにフリーで合わせたのはそのジウトン選手だった。

「戦犯候補」から一瞬で、「英雄」になってしまったのである。

後半早々の51分、東京CF近藤選手に強烈なミドルを決められ追いつかれたが、新潟には慌てる素振りはない。53分に右からのコーナーキックを得ると、松下選手のボールに千代反田選手が合わせる。そのこぼれ球に左WGペドロ選手が反応してゴールに突き刺し、勝ち越し点を得る。

ちなみに、開幕戦で複数点を取ったのは、J1昇格6年目にして初めてのことだったというのも忘れてはならない。

完全に勢いに乗った新潟は68分、相手陣内でのパスミスCF大島選手が奪うと、エリア少し外から跨ぎフェイントをかけながら、左足を振り抜き3点目。72分には、相手陣内中盤からルシオリシャルデス選手のスルーパス。反応したペドロ選手が相手選手を置いていく猛烈なスピードで抜け出し、4点目。結局4-1で快勝を収めた試合となった。

 

印象に残ったポイント

当時中学1年だった筆者だが、開幕戦の成績の凄惨さは知っていた。そのためか、子供の頭でも開幕戦で勝つことはまずイメージできなかった。それが蓋を開けたら4得点ゴールラッシュでの圧勝劇だったのだから、印象に残るというものだ。ジウトン選手のツキの良さもものすごい印象的だった。

この試合を見ていて、ペドロ選手のスピード大島選手のポストプレーの技術、シュートの上手さには驚かされたのを今でも覚えている。この試合の3点目と4点目を見ていて、「このチームは本当に強い」と確信した試合だった。

 

②2005年 J1第10節 アルビレックス新潟2-1川崎フロンターレ新潟スタジアム

背景

J1昇格2年目を迎えた新潟。しかし3試合で4失点以上を喫するなどの守備陣の崩壊もあって、第9節を終えた時点で2勝3分4敗の勝点9自動降格圏内の17位に位置していた。

しかも、第9節のサンフレッチェ広島では0-5の惨敗を喫していた。5試合勝ち無しとなり、この試合後には、当時の新潟の指揮官であった反町康治監督中野幸夫社長(当時)辞意を申し出ていたという。(出典:「J1リーグ10年目記念メモリアルブック アルビレックス新潟」より)

社長が翻意させ、なんとか続けることとなったが、それほどまでにチームも監督も極限状態だった。ちなみにこの試合、反町監督は監督就任5年目にして初めて試合中にベンチに座ることを選んだ。ある意味の「開き直り」だったとのこと。

この日の対戦相手は、J1復帰元年にして4位につけていた川崎フロンターレ。3-4-3システムを駆使し、勢いのある攻撃サッカーを築き上げていた名将・関塚隆監督が率いるチーム相手にどういう戦いを見せるかという展開であった。

 

試合

やはりというべきか、勢いが如実に現れていた。フロンターレの攻撃の凄さが目立った前半。川崎FWジュニーニョ選手のスピードに対応が後手に回る守備陣。それでも、新潟の絶対的守護神・野澤洋輔選手がスーパーセーブを連発し、何とか耐えていた。

しかし36分、縦へのスルーパスジュニーニョ選手が反応、新潟ディフェンスを簡単に引きはがして1対1の場面を作る。1度は野澤選手のスーパーセーブで切り抜けるが、セカンドボールを拾われてニアサイドをぶち抜かれるスーパーゴールを決められ、先制点を許す。そのままビハインドを背負ったまま、前半を終える。

後半に入り48分、それまで決定的なチャンスがほぼ無かった新潟だったが、ワンチャンスをものにする。岡山哲也選手の浮き球パスから本間勲選手がダイビングヘッドのような形で執念のつなぎを見せ、中央に構えた船越優蔵選手(194センチ)がボールを収めながら、振り向きざまにシュートを決めて同点に追いつく。1年半ぶりの先発出場で見事な同点ゴールを決めた。

そして81分、ペナルティエリア手前で新潟FW鈴木慎吾選手川崎DF相馬選手に倒され、フリーキックを得る。ここで反町監督が動く。ベンチに入っていた、元ブラジル代表にして、稀代のフリーキッカー、アンデルソン・リマ選手を投入する。言わば、ピンチヒッターならぬピンチキッカーのような形。そこから約3分半、川崎守備陣新潟戦士達の壁を巡る攻防が繰り広げられる。そしてその間、ボールを目の前にして微動だにせず集中力を高めていくリマ選手。迎えた85分、ついにその瞬間が訪れる。リマ選手の右足から放たれた強烈なシュートは壁とその横にいたジュニーニョ選手の間、50センチもないような隙間を切り裂き、ゴールへ向かっていく。川崎GK吉原選手の反応の逆を突き、ネットを揺らす。4万人のサポーターが集まったスタジアムは興奮に包まれる。まさに伝説の瞬間だった。ちなみにリマ選手のユニフォーム脱衣の速さもすさまじく速かった。(笑)

結局これが決勝点。劇的な逆転勝ちを収めた新潟は前節の大敗から立て直すことに成功。反町監督の辞任も回避し、シーズン通して監督を務め切っていただいた。そして、この年も苦しみながら、J1残留を果たすことになる。

 

ちなみにこの試合はyoutubeに載っているので、是非観ていただきたい。

(「アルビレックス新潟 2005」で調べると出てきます。)

 

印象に残ったポイント

アンデルソン・リマ選手フリーキックの直前、4万人の「リマコール」は当時小学4年生だった筆者には驚きだったそして、その中で決めきるリマ選手のスター性。

このゴールで反町アルビがこの年の最後まで続いていったのだから、その価値は本当に高い。

 

 

今回はここまで。皆さんの心に残る試合はどんな試合でしょうか。

第2回も書いていく予定です。

 

 

以上